寂しい死
【寂しい死】
少し重いお話で恐縮です
昨年、私個人の周りで
孤独死してしまった親戚がありました
どこの家にもあるような
様々なしがらみや問題の中で
二十年以上お会いすることの無かったその方
日頃の行き来がありませんでしたので
どのようにケアするべきなのか?
わかろうはずも無かったのですが
縁のあるものとして
もう少し出来得る事が在ったのでは無いか?
そんな風に自問自答しています
それは、もはや
悔恨と表現していいかもしれません・・・・。
テレビやラジオや新聞で
声高に喧伝される高齢化
聞きすぎて
見過ぎて慣れて、他人事
私自身が
本質を見誤っていたのかもしれません
身近な人が
寂しく亡くならざるを得なかったとき
初めてその恐ろしさを目の当たりにしたように感じています
2035年には
一人暮らしのお年寄り世帯が762万世帯
全世帯の15%を占めるに至るそうです
そして、そのすべてにおいて
『検視』『遺産分割協議』『相続』など
ネガティブ感満載のぞっとする手続きが
発生する可能性があるのです
故人の遺志を胸に抱き
残されたものにとっても前向きの話ならまだしも
ほとんどが確認できない気持ちを想像し
後悔の気持ちで一杯になりながらの作業
これは残されたものにとっても
大いなるダメージを与える
かつては無かったはずの苦行
まぎれもない社会問題なのだと思います
これから
自分自身に何ができるのか?
何をすべきなのか?
遺品整理を進めながら
そんな事を問いかけ続けています
残念ながら
まだ明確な答えは結べていません
ただ、当面のあいだは
現在の仕事を通じて
『豊かな心で暮らせる空間づくり』に勤しみたいと思います
そんな空間が少しでも増えれば
まちがいなく寂しく亡くなる方も
少なくなるように思うから・・・・・。
皆さま
今日は暗い話で申し訳ありませんでした
そして、おばさん
寂しい思いをさせて申し訳ありませんでした
明日からはまたあかるい話題でお会いしたいと思います(笑)
(BOSS)