孟子先生、どうよ?
私自身は基本的に性善説を信じる人間だ
ただ、最近は少し疑問符が付いている
元来は性善説も性悪説もなく
自分自身の事しか考えない
ひとりよがりな人間であったのだが
さすがに年齢とともに
少しは丸くなり
極め付きは
口うるさくはあるが
尊敬してやまない叔父に勧められ
とあるボランティア団体に属したころからか
多少なりとも変化したように思う
『人間は素敵』
『仲間は皆良い人』
『イコール性善説』
というような安易な三段論法で
性善説に傾いていったわけだった
でも、でも
本当にそうなのか?
最近少し悩み始めている
何事も修練を積むと
レベルはそれなりに上がるもので
属したボランティア団体の
無言のプレッシャーにはかなり鍛えられているように思う
という事は
そんな活動を通じて
すこしづつ、世のため人のためが
考えられるようになっていくとすると
あまりそんなことを考えていない人々とは
すこしずつ距離が開いていくわけだから
目に余ることも増えるというわけだ
先日も
少し遅くに出先から帰ってきたときに
わが社で借りている
駐車場に
中途半端に古い
ひとむかし前の高級車が止まっていた
見るからにいやな感じの車だ
当然止めることが出来ないので
なぜそこに止めているのか問いただした時の返事
『今、どけるやんけ!』 となぜか怒られた
いつもの私なら
ブチンと堪忍袋の緒が切れるのだが
かなり疲れていたので
『さっさと、どけろ』と静かに諭すだけにした
亀岡では、朝、普通に
『行ってきます』 と家を出掛けた子供たちの命が奪われた
まったく何の落ち度もないのにだ
夜通し走り回ったあげく
居眠りをして
集団登校の小学生の列に突っ込む少年たち
まったく救いようがない
これでも性善説なのであろうか?
やり場のない怒りとともに
大いなる疑問が湧いている
孟子先生、どうよ?