身近なところに
長岡京市と向日市を隔てる小畑川にかかる
一文橋という橋があります
実はここは京都と遠く大宰府を結ぶ
かつての山陽道にかけられた橋
皆さんには江戸時代以降の
西国街道という呼び名の方がしっくりくるかもしれません
実はこの一文橋
今でいう有料道路の発祥の地だと言う事
皆さんはご存じだったでしょうか
小畑川ですが
追ノ坂から流れ出し
長岡市内を横切り
桂川にそそぐ河川なのですが
大雨が降ると洪水を引き起こす
いわゆる暴れ川と言う川で
室町時代には随分住民を困らせていました
一文橋も、その度に流され
再建費用が幕府の大きな負担となっていました
そこで渡る人々から一文の通行料を徴収し
橋の再建費用に充てられたとか
ただ貧しい者にとっては
その負担ゆえに
通行料を払わずに橋を渡ろうとして
橋守りに切り捨てられた人がいたそうです
『知らぬ顔の半兵衛』という言葉がありますが
貧しい者が渡るのを知ってて見過ごした
心優しき橋守りの半兵衛さんが
語源となっているとのお話
いつも仕事中に何気なく渡っていますが
その橋にもこんなストーリーがある
やっぱり京都はすごい街なんですね