26年目の悲しみ
26年前の夏の事です
当時、学業の傍らではありますが
バーテンダーのアルバイトに
青春のほとんどを燃やしていました
バーテンダーと言っても
小さくも真面目に飲食業を考える
上り調子の会社が経営していたお店であったため
接客から計数管理まで
みっちりとたたき込まれました
多分そんな不真面目な中の真面目な部分が
魅力的であったのだとおもいます
なんせ本当に一生懸命、働いていました
時代はバブル真っ盛り
巷では毎日飲めや歌えの大騒ぎ
記憶を辿ってみると確かにすべてが
浮ついた、尋常で無い時代だったようにおもいます
その夏はたくさんあるお店が揃って
お盆の休みを取り
全社を挙げて慰安旅行に行きました
確か北陸方面の温泉だったと思います
早めの宴会から抜け出し
旅館近くの屋台で、当時の上司と話している時
屋台のラジオからそのニュースが聞こえてきました
『日航機が墜落した模様・・・・・・・・・乗客に坂本九』
何度も何度も繰り返していたのを覚えています
飛行機が落ちた事ももちろんですが
坂本九ちゃんの唄が、聞けなくなる。
なぜかその事にものすごくショックを受けたように記憶しています
26年たった今年も慰霊祭が営まれます
お盆の時期とも相まってたくさんの方が
慰霊登山に臨みます
日航会長となった稲盛さんも出席されるとの事
風化させずにきちんと検証と追悼が
受け継がれていると感じるのは私だけでしょうか?
日本には古来より多くの鎮魂の習慣があります
灯篭流しや送り火などがその良い例です
今回の大震災と今なお続く原発の問題
天災であれ人災であれ風化させず
その出来事を受け継いでいかねばなりません
それがより良い日本の現れでもあるのですから・・・。